はじめに
指導者がどんなに「素晴らしい戦術」を教えても、どんなに「素晴らしいトレーニング」を組んでも、選手の「モチベーション」が低ければその効果は得られません。
そして、このような場合よくあるのが「やる気がないなら辞めてしまえ!」というセリフです。
その理屈としては…
「サッカーがやりたいと言い出したのは本人なんだから、一生懸命やるのは当たり前で、そうじゃないならやる価値なし!」
そしてきっと、その先には…
「本当は辞めて欲しくない、この言葉に奮起して、再びやる気を出して頑張って欲しい!」
という親心が込められているのだと思います。
選手の中にはその気持ちを理解し、再び奮起する者もいるでしょう。
なので、この方法を否定するつもりは全くありません。
しかし、このような指導者が「こんな厳しい言い方をしなくても、選手のやる気を引き出す方法はないものかなぁ、俺だって心が痛いんだよ…」と思っているのだとしたら、この記事を一度読んでいただくことをお薦めします。
私もこの手法を採用していますが、選手が比較的、生き生きしているように感じます。
あとは結果を出すのみ!
「ゴール」の設定
ここでいう「ゴール」とは、選手自身が思い描いている「なりたい自分」という意味です。
例えば「プロサッカー選手」だったり「チームのレギュラー」だったり、「夢や目標」と言い換えても良いのかもしれません。
まずは「そのゴールはどこなのか?」を「選手自身」が確かめる作業からはじめると良いでしょう。
得てして「モチベーションの低い選手」は、このゴール設定が低いと言われています。
また、ゴールは「現実離れした高い設定」であればあるほど良いとも言われています。
なので「根拠のない自信」を持って設定しても良いということになりますね。
そして大事なポイントは「ゴールをまわりの人に宣言しなくても良い」ということです。
なぜかというと、一度宣言してしまうと「決めたならやりなさい!」とか「そんなの無理でしょ」という「他人の圧力」がかかるからです。
このような人達は俗に「ドリームキラー」と呼ばれており、悪気は一切なく、良かれと思いアドバイスしてくれますが、結果的には本人の成長の妨げになることが多いとされています。
なので、宣言するなら「本当に信頼のできる人」に限定したほうが良いでしょう。
そのような人達は、あなたを理解したうえで応援してくれる「ドリームサポーター」になってくれるはずです。
そしてもうひとつのポイントは「ゴールは変更しても良い」ということです。
自分の中で「一度決めたことは絶対にやり遂げなければ!」と思うことは決して悪い事ではありませんが、それだけに固執して苦しんではいけません。そして何より「思い描く未来が日々変わるのは自然なこと」だと思います。
さて、今までの内容を整理すると「勝手に高いゴールを設定する」「誰にも言わない」「いつでも変更できる」という至ってシンプルなもの。
これなら誰にでも簡単にできると思いませんか?
しかし、子供たちの中には、この簡単なことができない場合があります。
それには「コンフォートゾーン」が関係しているのかも知れません。
「コンフォートゾーン」を広げる
選手の「ゴール」が低く設定されている場合「コンフォートゾーン」が狭い可能性があります。
コンフォートゾーンとは「居心地の良い領域」です。
サッカーで例えるなら、得意なプレーやポジション、容易に勝てる対戦相手との試合、といったところでしょうか。
自分の許容範囲を超えることなく楽しめる領域です。
そして、間違いなく言えるのは「コンフォートゾーンの内側にいると、人は成長できない」ということです。
成長とは「出来なかったことが、出来るようになること」と言えますが、まずは「出来ないことにチャレンジすること」からはじまります。
コンフォートゾーンの内側(居心地の良い領域)に居ると、この「チャレンジ」ができません。なので成長しないんです。
では、人はなぜコンフォートゾーンの「外側」に行こうとしないのか?
それは、その人にとって「居心地が悪くて苦痛」だからです。
しかし、それを「意思が弱い」と決めつけてはいけません。
なぜなら、それは「脳がそうさせているから」です。
突然ですが「ホメオスタシス(生体恒常性)」という言葉を知っていますか?
例えば、人は、体温が下がると体が震え、上がると汗をかき、ウィルスが侵入すると熱を出す。
これは、自分が「意識的」に行ってることではなく「無意識」に起こるものです。
その正体が、あなたの体を「居心地の良い状態に保とうとする」ホメオスタシスの働きなんです。
そして、この働きは脳にも及ぶといわれています。
ホメオスタシスは「チャレンジ(苦痛)」しようとするあなたを「居心地の良い領域に引き戻そう(やりたくない)」と働きます。
なんでそんなことを!とも思いますが、残念ながらホメオスタシスには「善悪」がありません。
その人が「チャレンジを苦痛」だと思っているうちは、ホメオスタシスはそれを阻止し続けます。それが人として正常な状態です。
もうお分かりになった方もいると思いますが「意識的に頑張ろうと思っても、無意識はそれを邪魔する」ことがあるのです。
選手たちが一生懸命「意識的に」前向きに取り組もうとしても、この「無意識」がそうさせないことがある、ということを知っているだけでも「俺の練習が気に入らない訳じゃないんだな、じゃあ、しょうがないか」と余裕をもって指導が出来ると思います。
宿題をしようとするとトイレに行きたくなったり、登校前に熱が出たり、ずーっとスマホを見ていたりするのも、もしかすると正常なホメオスタシスの働き(なのかもしれません)。
話を戻します。
コンフォートゾーンが狭いのであれば、それを広げてあげる必要があります。
そのためには「苦痛だと思わずに」コンフォートゾーンの外側に出なければなりません。
そうすることにより、そのぶんの成長が見込めるという考え方です。
成長してしまえば、そこはもうコンフォートゾーンの内側となります。
「で、結局どうやるの?」って話なんですが
これには「エフィカシー」の考え方が必要だといわれています。
「エフィカシー」をUPさせる
エフィカシーとは、選手が「できる!と思っているレベル」です。
リフティングを例にすると、自己最高が10回の選手がいたとして、途中の5回目で落としたとしても、再びチャレンジして、やり遂げ、結局のところ記録を更新することがあります。
しかし、これが「100回チャレンジしてみよう!」となると、前者と同じ5回目で落としたとしても、チャレンジを諦めてしまうことがあります。
では、この2つの例の違いは何なのでしょうか?ボールを同じ5回目で落としたときの反応を考えてみましょう。
前者は、この先10回できる保証なんてどこにもないのに、大抵「出来るはず!」となることが多いです。なぜでしょう?
後者は、過去に10回できているにも関わらず、この時点で「きっと出来ない…」となり、出来てたはずの10回すらできなくなることがあります。なぜでしょう?
同じ5回目のミスなのに、このモチベーションの違いはいったい何なのでしょうか?
決して全てとは言い切れないでしょうが、これが「できる!と思っているレベル(エフィカシー)」の差だと言われています。
このエフィカシーが「出来るはず!」というベクトルに向いているときには、コンフォートゾーンの外側へ「容易に」出ることが可能なようです。
では「きっと出来ない…」を「出来るはず!」に変換するためにはどうすれば良いのでしょうか?
経験上、正論をかざして「やれ!」だけではあまり効果はなさそうなのは分かっています。
ここで必要なのが「アファメーション」です。
「アファメーション」を駆使する
アファメーションとは行為です。
具体的に言うと「インパクトのある「言葉」や「表現」などによって「臨場感」を伝え、選手のエフィカシーを高める行為」です。
例えば、小さい子供がヒーロー番組やアニメを見た直後の姿を想像してみてください。
彼ら(彼女ら)は、主人公など、お気に入りのキャラクターになり切って動き回ります。
魔法や必殺技も使えますし、敵にやられても不思議な力で復活します。
これがまさにアファメーションといえるでしょう。
テレビ番組が、彼ら(彼女ら)の心に火をつけた状態です。
今の彼ら(彼女ら)には、怖いものはありません。「きっと出来ない…」なんて微塵も思っていないことでしょう。
サッカーでのアファメーションは、このテレビ番組と同じように、指導者が子供たちの心に火をつけ「無敵状態」にすることです。
そうすることによって、選手のエフィカシーを「出来るはず!」というベクトルに向かわせることが可能と言われています。
その手法は様々で、指導者のキャラクター設定や、ボキャブラリーによって決まると思いますが、その一つに「ペップトーク」という手法があるのでググってみてください。
さいごに
以上、長々と書きましたが、ここでまとめます。
指導者がどんなに「素晴らしい戦術」を教えても、どんなに「素晴らしいトレーニング」を組んでも、選手の「モチベーション」が低ければその効果は得られません。
なので、選手のモチベーションを上げるためにやるべきことは
①「アファメーション」の手法で「ペップトーク」を駆使して選手の心に火をつけ「エフィカシー(できる!と思っているレベル)」を高める
②「エフィカシー」が高まると「コンフォートゾーン(居心地の良い領域)」の外側にチャレンジしやすくなる
③チャレンジすることで「出来なかった事が、出来るようになる」ため「コンフォートゾーン」が広がる ⇒ ここで成長する!
④「コンフォートゾーン」が広がると「ゴール」を高く設定しやすくなる
このような「人がやる気になる仕組み」をしっかり理解したうえで、サッカーの専門的なセオリーを指導することが、サッカー指導者としての本来の姿なのだと、今の私は信じています。